ヨガ

執着は全ての苦しみの元?ヨガ哲学の無執着(ヴァイラーギャ)になる方法は?

ヨガ哲学では、「執着」という言葉が頻繁に出てきます。

管理人はヨガの学校で執着が全ての苦しみの元とも言えると教わりました。また、ヨガの究極の目的の1つが執着を取り除くことであるとも言えます。

今日はヨガ哲学の観点から執着とは何か?執着が全ての苦しみになるとはどういうことか?無執着になるための方法はあるのか?を書いていきます。

ラーガ(執着)とは?

自分の欲望に対する執着は、サンスクリット語でラーガ」と呼ばれています。

多くの人は、普段の生活の中で無意識にいろいろな欲望に執着して過ごしています

例えば

  • 職場で良い地位につきたい
  • 自分好みの恋人がほしい
  • もっとお金がほしい
  • 容姿の美しさがほしい
  • ブランド物のバッグがほしい

など、少し想像しただけでも沢山出てきますね。テレビでCMを見たり、周囲の人間を見渡したりして、自分に持っていないものを他の人が持っていると、とたんに手に入れたくなります

自分が欲しいと思う物を手に入れさえすれば幸せになれると錯覚してしまうこともよくあると思います。

このように私たちの心は、何かを見たり聞いたりすることで、自分もそれが欲しい!と執着心が起こりやすい傾向があります。

そして、上にあげたような欲望はすべて、それを得られた一瞬の間は喜びを感じますが、その喜びは決して永遠には続きません。以下で詳しくみていきましょう。

欲望に対する執着が全ての苦しみの元になる

自分にないものを手に入れたいと思うのは人間として当然の感情です。

だけど、それが行き過ぎて欲望に対して執着が生まれてくると、どんなものでも最終的には自分を苦しめるものに変わり、執着は人生における障害物の1つとされています。

ヨガ哲学でのラーギャ(執着)は、次のように色々な角度から考えることができます。

  • 自分が持っていないものに対しての執着
  • 過去に持っていたものに対しての執着
  • 今手にしているものに対しての執着

恋愛を例にして、順番にみていきましょう。

自分が持っていない物を手に入れたいという欲望への執着

まず1つ目の例は、

自分好みのイケメン男性がいて、仲良くなりたい・付き合いたいという欲望が生まれる。

そして彼は振り向いてくれなそうもないのに、なんとかして付き合いたいと執着する

この場合は自分の持っていない物を手に入れたいという欲望に対しての執着が苦しみをもたらすというのは分かりやすいですね。

相手のことを考えずに、自分にとって条件が良いからといって無理矢理付き合おうとするのは明らかに苦しみを生み出します

過去の良い思い出に対しての執着

2つ目の例は、

付き合っている彼氏とは前は両思いでお互いに楽しく幸せな時期があった。

でも今は彼の態度が冷たく、ほとんど会っていない。

その状態のなかで、昔の楽しかった思い出に執着して、また何とか昔の状態に戻れないかということばかり考えている

この例では楽しかった過去の思い出に執着しているパターンですね。

過去の楽しい思い出も、執着しなければ綺麗な思い出で終わるけど、そこに執着すると苦しみがやってきます

持っている物を手放したくないという欲望に対しての執着

3つ目の例は、

いま優しくてイケメンの彼氏がいて幸せに暮らしている。

こんなに素晴らしい相手はなかなかいないから絶対に手放したくない

もしもいつか彼の気持ちが離れたら・・と考えるだけで不安になり、言いたいことも言えない

この例は、「恋人がいる状態」に執着しているパターンですね。

周りから見たら一見幸せそうにみえる関係であっても、その状況に執着していたら自分にとっては苦しみとなります。

極端がことをいえば、ヨガ哲学では何も持っていない人が最も幸せな人だと言うくらいです。なぜなら、何も持っていない人は何も失う恐怖がないから

それほどまでに、今持っている物を失う恐怖というものは自分を苦しめるものです。

過去の楽しい思い出や今の素晴らしい状況など、一見苦しみとは無縁のことについても、そこに執着が生まれれば、自分を苦しめるものに変わるとされていて、こう考えると本当に執着はすべての苦しみの元だなぁと考えさせられます。

無執着(ヴァイラーギャ)になる方法は?

執着の反対、「無執着」のことをサンスクリット語で「ヴァイラーギャ」といいます。

無執着であることが良いとはいっても、心がある以上、完全に欲望をなくすことは難しいです。

自分のことしか考えていない欲望への執着は苦しみになりますが、他者のために欲をもつことは悪いことではないとヨガ哲学では言われていて、他者に奉仕するための欲望に集中していれば無執着につながると言われます。

お金を得ることも、地位を得ることも、他者へ何かを与えるために必要な物として欲望をもてばそれは苦しみにはなりません

例えば他者に奉仕するために働くには、十分に栄養をとって、休養をして、身なりも綺麗に整えておく必要があります。そのためにはお金が必要です。それを目的としてお金を持つことは悪くはないということですね。

まとめ

忙しい日常生活の中で、執着を捨てて完全に無執着になることは難しいことだと思います。

だけど、「他者のために」という視点を時々思い出して過ごしてみると、新しい気づきも多いかもしれません。

それが習慣になってくると徐々に執着心も薄れてきて、充実した人生を送れるようになるのかもしれませんね。